運命の人

運命の相手との出会いは予測できないものらしい。運命は準備ができていようができていまいが訪れる。例えば夜行バス明けで最悪に化粧ノリの悪い朝でも。

運命の相手とは何か、と言われたらわたしにも定義はよくわからない。ただ、彼が自信満々にそう言い切るので、そうかもしれないなと思い始めたのだ。

 

彼とは夜行バス降り場の近くにある24時間営業のカフェで出会った。お互いスーツを来ていて、聞かなくても就活生だとわかる。早朝にも関わらず東京のカフェは混んでいて、彼はカウンター席のわたしの隣に座っていた。そして急にわたしに話しかけてきたのだ。「大阪から来たの?」と。え、と戸惑いながらもわたしは「うん」と答えた。それからしばらくわたしたちは眠気を覚ますように話し続けた。彼はどうやらわたしが取り出して見ていた履歴書の住所を見てわたしが大阪から来たと気づいて話しかけてきたらしい。わたしたちは大阪のどのあたりの出身なのかや東京は人が多すぎる話、関東弁はよそよそしく聞こえて怖い話に始まり、これからどこの面接に行くか、就活がいかによろしくない制度であるかについても言及した。

「ところでさ、それ何飲んでんの」彼は言った。わたしはいつもチャイラテを頼む。コーヒーはそんなに得意ではないのだ。チャイラテ、とわたしが答えると彼は嬉しそうに笑って、俺も、と言った。実のところ、チャイラテを飲んでいる人に出会うのは初めてだった。珍しいね、と言うとおいしいやん?と笑う彼。

ふたりとも面接は午後からだったので、気合いを入れるために何か美味しいものを食べに行こうという彼の提案で、わたしたちはチェーンのカフェを出た。道すがら彼は自分の将来について語り、ガンダムの良さについても語った。わたしはうんうんと頷きながらそれを聴く。さっき会ったばかりなのに、不思議と初対面な感じはしなかった。路地を曲がったところにある小さな中華料理屋に入り、ふたりで3品ほど頼む。彼の話は彼の専門分野の話になっていた。「ねえ、この野菜なんて言うんやっけ」わたしは皿の中の野菜を箸で摘んで言った。彼は一瞬黙って、iPhoneでググったあと言った。「チンゲンサイやな」。

「そう、それや。チンゲンサイ、すごい好き。それが言いたかっただけ」わたしが言うと、彼はそれだけかよ、と爆笑した。その後好きな食べ物の話になり、彼は言った。「お前と会ったの、運命やわ」と。「だってすごくない?大阪から就活のために東京来てカフェで隣に座ってさ。そんで俺らふたりともチャイラテが好きで、茄子と山椒が好きやろ。で、お前の嫌いなしいたけは俺好きやし」そういう彼はにこにこと笑顔をわたしに向ける。運命、そんな言葉久しぶりに聞いた。彼の笑顔が愛おしいような気がして、わたしもなにそれ、と言いながら笑った。

チンゲンサイあげる」と彼は言う。わたしは笑って、皿の上のチンゲンサイをあるだけ攫った。代わりにしいたけは残す。

 

地下鉄のホームで、わたしたちは連絡先を交換して、別れた。健闘を祈る、などと言い合いながら。なぜか絶対に大丈夫な気がした。

「また会えるかな」わたしは呟いた。彼は驚いたようにわたしを見て言う。「当たり前やろ。おんなじ大阪に帰んねんで。なんなら今日の夜行バスでも会えるんちゃう?なんたって運命やし」

運命ね。そうだね。運命かもしれない。チャイラテと茄子と山椒が好きで、わたしの代わりにしいたけを食べてくれる彼。次に会うときは、もう少し良いコンディションでいたいものだ。夜行バスの化粧ノリが最悪で就活スーツを来た早朝じゃなくて、そうね、歩き慣れた大阪の街で、もうちょっと似合う服を着て。ふたりとも好きなものを食べに行こう。じゃあね、と告げて、わたしと彼は人がごった返す地下鉄の、反対方向に乗った。

あなたのためよ

「今日はいつもよりお化粧頑張ってるね」と彼が言ったので、わたしは戸惑った。

「そんなことないよ」か「いつも通りだよ」かどちらが良いか一瞬考えた後、わたしの口からは「Its for you」と溢れていた。彼の目は少し驚いたように見えたけど、わたしは聞き返す隙も与えずに続けた。「ラブ・アクチュアリーっていう映画があってね」

彼の顔がこちらを向く。「パーティーで”綺麗だ”って好きな人に褒められた女の子がそう言うの。あなたのためよ、って。すごいよね。人生で自分のために綺麗に着飾ってくれる女の子が何人いると思う」まくしたてるようにわたしは言い、意味もなく彷徨っていた視線を彼に合わせた。彼は少し間を置いて、「で、お前はおれのために頑張ったの」と訊ねた。

視線が絡まる。見つめてみても、彼が何を考えているのかわからなかった。答えを催促するようにわたしを見つめ返す余裕のある彼が憎らしかった。ギブアップ。わたしに正解はわからない。「ノー」と短く言ってから、付け加える。「でも、人生で一度は言ってみたいセリフなの」

「かわいくねー。人生で一度は言ってみたいセリフなら、それ今言うべきだろ」彼は呆れたように言う。そうだよ、って言ったらあなたは喜んでくれるの、という言葉は喉元まで出てきかけたけれど、わたしはそれを飲み込んだ。「会うために化粧を頑張りたい相手が人生で何人いると思う」

「だから、おれでしょ」彼は笑った。その笑みが似合っている、と思ってしまう程度にわたしはどうかしている。「調子に乗らないで」と言うと、「泣きそうになりながらここまで来といてよく言うよ」と言われて、確かに説得力がないなと自分でも思った。彼はこれから飛行機に乗って、異国に旅立つのだ。本当に行っちゃうの、などと涙目で言い、どうしても見送りに行きたいと空港まで着いてきたのはわたしだ。

「…そうだね。最後にひとつだけ言っても良い?」

「最後なの?どうぞ」

「待ってるね」

はぁ、と彼は大げさにため息をついた。「それが一番聞きたかった」。じゃあ待ってて、と言う彼の瞳は今にも泣き出しそう、に見えた。「あとね、もういっこ」「最後じゃなかったのかよ」

「あなたのためだよ」彼の目はまた驚いたように見開かれて、わたしはお返しと言わんばかりに余裕ぶって笑ってみせた。彼はわたしの頭をくしゃくしゃと撫でる。わたしがそうされるのが好きじゃないと知っているくせに。

 

「じゃあ、行ってくるわ」

そう言って立ち上がった彼の手を掴んで、抵抗する間も与えずにハグをした。この体温を、匂いを覚えていたいと思った。わたしはいつ帰ってくるかわからない男をいつまでも待ってられるほどできた女じゃないかもしれない。でも、少なくとも今は、待ってるね、と言って笑って見送りたいのだ。

出国ゲートを越えて、後ろ姿が見えなくなるまで前に立っていた。待つ側と待たせる側では、流れる時間は違うんだろう。待ってるってことをわたしが忘れないうちに帰ってきてくれたら、今度はとびきりおめかしして迎えに来てあげる。そのときはちゃんと「あなたのためよ」と言うから。